貞観政要を学ぶ

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'15.6.22 更新'18.2.23
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君道第一/君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり

さあ、大いなる男の自信をつけよう

《貞観政要・その五》君道第一/君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり

原文

 貞観二年、太宗問魏賤目、何謂為明君暗君。
 徴日、君之所以明者、兼聴也。共所以暗者、偏信也。詩云、朱人有言、詢于芻堯。昔唐虞之理、闢四門、明四目達四聡。是以聖無不照。故共鯀之徒、不能塞也。靖言庸回、不能惑也。秦二世則隠蔵其身、捐隔疎賤而偏信趙高、及天下潰叛、不得聞也。梁武帝偏信(朱い)、而侯景挙兵向闕、竟不得知也。隋煬帝偏信虞世基、而諸賊攻城剽邑、亦不得知也。是故、人君兼聴納下、則貴臣不得壅蔽而下情必得上通也。
 太宗甚善其言。

読み下し文

 貞観二年、太宗、魏潰に問いて曰く、「何をか謂いて明君、暗君となす」。
 徴日く、「君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり。その暗き所以の者は、偏信すればなり。詩に云わく、『先人言えるあり、芻堯(すうぎょう)に訪う』と。昔、唐虞の理、四門を闢(ひら)き、四目を明らかにして四聡を達す。是(ここ)を以って聖、照らさざるなし。故に共鯀(きょうこん)の徒、塞ぐ能わざりしなり。靖言庸回(せいげんようかい)、惑わす能わざりしなり。秦のニ世は則ちその身を隠蔵し、疎賤を捐隔(えんかく)して趙高を偏信し、天下の潰(つい)え叛くに及ぶまで、聞くを得ざりしなり。梁の武帝は(朱い)を偏信し、而して侯景、兵を挙げて闕(けつ)に向かうも、竟(つい)に知るを得ざりしなり。隋の煬帝は虞世基を偏信し、而して諸賊、城を攻め邑(ゆう)を剽(かす)むるも、亦知るを得ざりしなり。この故に人君、兼聴して下を納れなば、則ち貴臣壅蔽(ようへい)するを得ずして、而下情(しかかじょう)、必ず上に通ずるを得るなり」。
 太宗甚だその言を善しとす。

現代語訳

 貞観二年、太宗が魏微に尋ねた。「明君と暗君はどこが違うのか」
 魏微が答えるには、「明君の明君たるゆえんは、広く臣下の意見に耳を傾けるところにあります。また、暗君の暗君たるゆえんは、お気に入りの臣下の言うことしか信じないところにあります。詩にも『いにしえの賢者言えるあり、疑問のことあれば庶民に問う』とありますが、聖天子の堯や舜はまさしく四方の門を開け放って賢者を迎え入れ、広く人々の意見に耳を傾けて、それを政治に活かしました。だから堯舜の治世は、万民にあまねく恩沢が行きたわり、共工(きょうこう)や鯀(こん)のともがらに目や耳を塞がれることはありませんでしたし、巧言を弄する者どもに惑わされることもなかったのです。これに対し秦の二世皇帝は宮殿の奥深く起居して臣下を避け、宦官の趙高だけを信頼しました。そのため、完全に人心が離反するに及んでも、まだ気づきませんでした。梁の武帝も、寵臣の(朱い)だけを信頼した結果、将軍の侯景が反乱の兵を挙げて王宮を包囲しても、まだ信じかねる始末でした。また、隋の煬帝も、側近の虞世基の言うことだけを信じましたので、盗賤が村や町を荒しまわっていても、故治 の乱れに気づきませんでした。このような例でも明らかなように、君主たる者が臣下の意見に広く耳を傾ければ、一部の側近に目や耳を塞がれることがなく、よく下々の実情を知ることができるのです」
 太宗は魏賤のことばに深く頷いた。

●兼聴 ── 多くの人の意見を聞くこと。  ●偏信 ── 特定の損于の偏った意見だけを信用すること。  ●芻堯 ── まぐさを刈る人と薪を採る人。身分の低い庶民を指す。  ●唐虞─堯と舜。ともに古代の聖天子。堯は陶や唐の地に封じられたので陶唐氏とも呼ばれ、舜は虞の地に封じられたので有虞氏とも呼ばれる。  ●理 ── 「治」と同じ。つまり政治のこと。  ●四門 ── 四方の城門。  ●四目 ── 四方の実情を広く見てよく知ること。  ●四聡 ── 四方の情報を広く聞いてよく知ること。  ●共鯀 ── 共工と鯀。二人とも堯舜に仕えたが、罪を犯して流刑に処された。  ●靖言 ── 説を飾りたてること。  ●庸回 ── 愚かでよこしまなこと。  ●疎賤 ── 身分の低い臣下。  ●損隔 ── 退けて会わないこと。  ●趙高 ── 始皇帝に仕えた宦官。二世皇帝を擁立して故治の実権を握った。  ●梁の武帝 ── 南北朝時代の梁王朝の創始者。晩年「侯景の乱」をひき起こし、朱意のうちに死去した。  ●(朱い) ── 武帝に仕えた寵臣。  ●侯景 ── 東魏の将軍。梁王朝に帰順してきたが、処遇に不満を抱いて反乱を起こした。  ●虞世基 ── 煬帝の側近。  ●壅蔽 ── 目や耳をふさぎおおうこと。

温故知新

 何事かを成さんとするには、おのれ一人の力のみでは如何ともしがたい事です。成功をめざすので あれば、徳を身につけなければなりません。  徳とは相手の信頼感を勝ちうることである。 ── 菜根譚  徳の前提は、仁であり、謙虚さであるのです。  我れ、仁を欲すれば、ここに仁至る ── 孔子 仁は身近にあると言っています。  卑譲(=謙虚)は徳の基なり。 ── 左伝  これまでのリーダーの本を読んでも、元からリーダーの素養があった人は殆どいません。並々なら ぬ努力を積み重ねて、リーダーになっていったのです。  漢の時代の将軍、李広(りこう)は、李広の為なら、部下の兵達は皆喜んで命を投げ出したという程 です。こんな話が残っています。  「行軍中、飢えと渇きに苦しんでいる時、たまたま湧き水を発見しても、李広は部下が全員飲み終 わるまで、決して飲もうとはしなかった」といいます。
── 網倉

次回は、《貞観政要・その六》 です。