貞観政要を学ぶ

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故郷のまつり

'15.6.22 更新'18.2.23
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政体第二/君は舟なり、人は水なり

さあ、大いなる男の自信をつけよう

《貞観政要・その六》政体第二/君は舟なり、人は水なり

原文

 貞観六年、太宗謂侍臣曰、看古之帝王、有興有衰猶朝之有暮。皆為蔽其耳目、不知時政得失。忠正 者不言、邪諂者曰進。既不見過、所以至於滅亡。朕既在九重、不能尽見天下事。故在之郷等、以為朕 之耳目。莫以天下無事四海安寧、便不在意。可愛非君、可畏非民。天子者、有道則人推而為主、無道 則人棄而不用。誠可畏也。

 魏厳対曰、自古失国之主、皆為居安忘危処理忘乱。所以不能長久。今陛下富有四海、内外清晏、能 留心理道、常臨深履薄、国家暦数、自然霊長。臣又聞、古語云、君舟也、入水也。水能載舟、亦能履 舟。陛下以為可畏。誠如聖旨。

読み下し文

 貞観六年、太宗、侍臣に謂いて曰く、「古の帝王を看るに、興るあり衰えるあること、猶お朝の暮あるがごとし。皆その耳目を蔽うが為に、時政の得失を知らず。忠正なる者は言わず、邪諂(じゃてん)なる者は日に進む。既に過ちを見ず、滅亡に至る所以なり。朕既に九重に在りて、尽く天下の事を見る能わず。故にこれを卿等に布き、以って朕の耳目となす。天下無事、四海安寧なるを以って、便(すなわ)ち意を存せざるなかれ。愛すべきは君に非ずや。畏るべきは民に非ずや。天子は、道あれば則ち人推して主となし、道なければ則ち人棄てて用いず。誠に畏るべきなり」。

 魏徴対えて曰く、「古自り国を失う主は、皆安きに居りて危うきを忘れ、理に処りて乱を忘るるを為す。長久なること能わざる所以なり。今、陛下は富、四海を有(たも)ち、内外清晏なるも、能く心を理道に留め、常に深きに臨み薄きを履まば、国家の暦数(れきすう)、自然に霊長ならん。臣又聞く、古語に云う、『君は舟なり、人は水なり。水は能く舟を載せ、亦能く舟を覆す』と。陛下は以って畏るべきとなず。誠に聖旨の如し」。

現代語訳

 貞観六年、太宗が側近の者に語った。「昔の帝王の治世を調べてみると、初め、日の出の勢いにあった者でも、朝のあとに日暮れがくるように、きまって衰亡の道をたどっている。それはほかでもない、臣下に耳目をふさがれて、政治の実態を知ることができなくなるからである。忠臣が口を閉ざし、へつらい者が幅をきかせ、しかも君主はみずからの過ちに気づかない。これが滅亡に至る原因である。わたしはすでに奥深い宮殿にいるので、直接この目で政治の実態を確かめることができない。それゆえ、そちたちにわたしの耳ともなり、目ともなってもらっている。今は天下が平和に治まり、四海の波が静かだからといって、ここで気持をゆるめてはならない。古人も、「君主は人艮に愛される存在でなければならない。そのためには人民の意向を尊重してわが身を慎む必要がある」と語っているではないか。天子が道に則った政治を行なえば、人民は推戴して明主と仰ぐが、道にはずれた政治を行なえば、そんな天子など捨てて顧みない。よくよく心してかかる必要がある」

 魏徴が答えた。「昔から国を滅ぼした君主は、いずれも、安きに居りて危うきを忘れ、治に居て乱を忘れておりました。長く国を維持できなかった理由はこれであります。幸い陛下におかれましては、あり余る富を有し、国中が平和に治まりながら、なおも天下の政道に心を砕かれ、深淵に臨み薄氷を踏むようなお気持で、いやが上にも慎重を期しておられる。これなら、わが国の前途は洋々たるものです。古人も、『君は舟なり、人は水なり。水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す』と語っています。陛下は、畏るべきは人民の意向だと言われましたが、まことに仰せのとおりでございます」

●邪諂─心のねじけたへつらい看。  ●九重─天子の住んでいる奥深い宮殿。  ●愛すべきは君に非ずや。畏るべきは民に非ずや─『書経』大禹謨(だいうぼ)篇にあることば。君主というのは人民から愛される在住でなければならない。また、君主の地位は人民の支持にかかっているので、常に人民の意向を尊重してわが身を慎まなければならないという意味。聖天子の舜が後継者を戒めたことはだという。
●理に処りて─理は「治」と同じ。  ●清晏−よく治まって平穏なこと。  ●理道─「治道」と国じ。政治のやり方のこと。  ●深きに臨み薄きを履む─『詩経』小雅(しょうが)篇に「戦々兢々として深淵に臨むか如く薄氷を履むが如し」とある。これはそれを踏まえたことば。なにごとにも責任の重さを目覚して慎重に対処するという意味である。  ●暦数─自然に定まっている運命。  君は舟なり、人は水なり─『荀子』王制篇に「君は舟なり、庶人は水なり」とある。君主は浮くも沈むも水(人民)次第なのだという  ●聖旨─天子の意向。  ●壅蔽 ── 目や耳をふさぎおおうこと。

温故知新

( ── 君は舟なり、人は水なり。)
 この後に、 … 「水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す」 と続きます。鏡の様な水面にするのも、荒れ狂った波を呼び起こすのも、「君主」次第。だから薄氷を踏む思いで気を付けなければという訳です。絶対の権力があった帝王にしてこの謙虚さ。たまげます。

 もう随分前のことですが、「結婚式が終わった後で、新郎の友達が 新郎 を胴上げして、サッとどいて、大けがをさせた」という報道がありました。これは悪ふざけも良いとこです。一種の群集心理でしょうか。これは対象外ですが、それ以来、野球などで監督が選手に胴上げされている光景を見る度に、「上に放り上げて、サッとどかれたら、どうなるんだろうか」と思って見ています。

 「下の者を蹴落として、上の者の足に頬ずりをして、出世していく時代は終わった。仲間に担がれてはじめて、リーダーになれるのだ」。と、リーダーシップに関する最近の本に書かれていますが、この終わった時代は、いつの事でしょうか? 仲間に 良く 担がれたのは、628年唐王朝の皇帝李世民ですが。

 第一次遣唐使。貞観5年(631年)(飛鳥時代・34代舒明天皇)に倭国は使者、犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)を派遣して、入貢し方物を献じたが、太宗は、「倭国は遠い国であるから、毎年朝貢する必要はない」と担当の役所に命じた、と伝えられています。「貞観の治」も、その様な人だったから、なんですね。
 織田信長の「天下布武」とは、真反対の考えです。そして信長は、水に覆されました。  遣唐使は 200年以上にわたり、当時の先進国であった唐の文化や制度、そして仏教の日本への伝播 に大いに貢献しました。
── 網倉

次回は、《貞観政要・その七》 です。

 貞観政要とは帝王学の事ですが、立場に依らず、我が身を正す学問です。故に真っ先に 網倉忠志 が学ぶ学問です。己が身と比べてみれば、口先だけの事ではなく、「何をして来たんだお前は!」と 恥じ入るばかりです。      よろしかったら、ご一緒にどうぞ。